収蔵品紹介

絹本着色雪舟等楊像(けんぽんちゃくしょくとうよう)

雪舟肖像画(原本) 雪舟は応(おう)永(えい)27年(1420)、備中(びっちゅう)(岡山)で生まれ、幼い頃、涙で鼠の絵を描いた逸話は有名です。その後、京都で禅僧として修行を積みながら、画を学びました。30代半ばに山口へ来て大内氏の庇護(ひご)を受け、大内氏の遣(けん)明船(みんせん)に随行し明国(中国)に渡りました。明国で絵の技法や風物を吸収し、帰国後アトリエ雲谷(うんこく)庵(あん)で多くの大作を描きました。この雪舟画像は、雪舟の自画像を雲谷等(とう)益(えき)が模写したものです。雪舟の風貌がよく描かれており、肖像画として傑作です。

紙本着色毛利隆元像(しほんちゃくしょくたかもと)

紙本着色・毛利隆元像(原本) 毛利隆元は元就(もとなり)の長男で、家督(かとく)を継いだ後、朝廷から大膳(だいぜん)太夫(だいう)に任命されるとともに安芸(あき)(広島)の守護になりました。その後さらに備後(びんご)、周防(すおう)、長門(ながと)の守護職となりましたが、出雲(いずも)(島根)に出兵を計画中、病気となり永(えい)禄(ろく)6年(1563)に41歳で亡くなりました。この絵は常栄寺開基(かいき)の像として、隆元の晩年の姿を描いたものです。

紙本着色大内盛見像(しほんちゃくしょくもりはる)

 紙本着色大内盛見像(しほんちゃくしょくもりはる)大内盛見は弘(ひろ)世(よ)の子で、義弘(よしひろ)の弟です。周防、長門、豊前(ぶぜん)、筑前(ちくぜん)の守護となり、また、大陸とも盛んに交易をして大内文化興隆(こうりゅう)の素地をつくりました。応永11年(1404)に国清寺(こくしょうじ)を創建(そうけん)しましたが、永(えい)享(きょう)3年(1431)に筑前で戦死したため国清寺を菩提寺として弔われました。国清寺は慶長(けいちょう)8年(1603)以降に常栄寺となったため、この画像が常栄寺に伝わりました。