不生佛心(ふしょうのぶっしん)

不生佛心常栄寺茶処「茶坐喫茶」に掲げてある額(がく)に書かれている語です。この額は元々、常栄寺専門道場出身の雲水が入寺式(にゅうじしき・寺に入るための儀式)のための餞(はなむけ)として揮毫(きごう)しました。この墨蹟を出席した寺院住職の引き物用に風呂敷にしたものを表具、額としたものです。人は生まれながらに誰もが不生不滅の佛心もっているとした「不生禅」を唱え佛教の言葉を用いず、祖師の句を語らず、日常の言葉で佛法を語られた盤珪(ばんけい)禅師の言葉です。「親が生みつけたもうたは、不生の佛心のみでござるわいの。脇かせぎせず、不生の佛心ままでくらさっしゃれい」「一切は不生の佛心で調(ととの)いまするわいの」と、佛心に目覚める事だけを語られました。江戸時代初期、元和8年(1622)、今の姫路市網干区浜田に生まれ、72歳で元禄6年(1693)網干の龍門寺(りょうもんじ)で亡くなりました。「常栄 任桃叟」 常栄は(常栄寺) 任桃は(にんとう・道号) 叟(そう・翁・老人)。